3月以降東北に行く機会が増えたが、中国建築賞の審査で中国地方をまわると、つくづく平穏な
日常がいかに有り難いものかを痛感する。さまざまな問題が山積しているにせよ、先人が作り上げたこの国の山野田畑の美しさは世界に誇れるものだ。だだし、建築さえなければ、と付け加えざるを得ない所が悲しいところだ。だからこそ、研鑽の場としてのこの賞の意義があるのだろう。
わずか15年前に神戸を襲った災害の衝撃も人々の意識から遠くなりつつある。人は今日や明日を生きていかねばならない。あってはならないことだが、非日常の風景を意識の外に置かなければ、生きていけないのも悲しい事実だ。見方を変えれば、それが人間のたくましさだと言うことも出来る。そんな感慨を持ちながらの審査である。毎年、審査委員である広島の錦織さんと岡山の倉森さんとご一緒できるのを楽しみにしている。広島も岡山も戦争で廃塵に帰した街だ。その原風景からどのように建築家としての人生を歩まれたのか。建物を前にして発せられる言葉の重みに、教えていただくことが多い。
今年も優れた作品がたくさん寄せられたが、委員の先生方と協議して一般建築部門では大賞を出さないことにした。言うまでもなく、大賞はこの地方の建築家にとってベンチマークになる作品でなければならない。その意味で、建築家ばかりでなく多くの一般の方からも賛同を得られるような幅の広さと品格を備えていなければならない。日本建築学会賞の作品賞でさえ、「該当作無し」の年が3回もあった。その気概を示すことで、以後の作品のレベルが上がったことを思えば、前記の条件に照らして、得心の行く作品がなければ、あえて大賞を出さないことも委員長としての責任ではないかと考えた。優秀賞は、それぞれ優れた特質を備えた作品である。
■講評
今年の住宅部門の大賞は、文句なく前田圭介さんの「森のすみか/nest」。書類審査では、少し過激に行き過ぎているのではないか、その思い切りのよさが住む上での不自由さに繋がっているのではないか、という印象を持ったのだが、実際に行ってみると、それはまったくの杞憂だった。実に鮮やかに、それも清々しく、それらの問題をクリアーしていた。それどころか、大胆な構想が新しい住空間の在り方を生み出しているとさえ思えた。昨年度の江角さんの作品もそうだが、こんなに優れた作品が、建築雑誌の誌面に掲載されないなんて信じられない思いがした。われわれ審査委員がおかしいのだろうか。いや、だからこそこの賞が必要なのだという思いを新たにした。
審査委員長 内藤廣(建築家・東京大学名誉教授)